ごあいさつ

代表取締役 齊藤俊満
お菓子は人を笑顔にし、喜びを与えることができる大きな魅力を持っています。
そのお菓子はおいしくて当たり前ですが、会社として取り組んでいることは、安全安心でよりおいしく、そしてより品質の良いものを常に求め、魅力と価値のあるお菓子をつくること、それがお菓子づくりの永遠のテーマであり目指すところであります。
「企業は人なり」という言葉がありますが、その言葉を大切にしております。
あらゆる事業には必ず人が関わりを持っていますが、すべては人につきます。
私共の会社は「人」をとても大切にしており、お客様は勿論のことお取り引き先様、そして社員は大切な財産です。
社員ひとり一人のやる気と伸びようとする力を大切にし、能力を最大限に活かせる環境をつくりいい人財を育て成長することが、企業の永続的発展の原動力となります。
どんな時代にでも順応に対応し、信頼され社会のお役に立てる企業を目指してまいります。
店舗におきましては、地域の方々がたくさん集い笑顔あふれる憩いの場になるよう、笑顔での接客と最高のおもてなしでお客様との会話を大切に明るい店づくりを心掛けています。
「また行ってみたい」と思っていただけるよう、そして地域にとってなくてはならない店舗になるよう最善を尽くしてまいります。
人の一生の中で、お菓子はとても大きな関わりと役割があります。四季折々の旬の味わいや風情を感じたり、行事や冠婚葬祭など色々な場面でお菓子との結び付きがあります。人をつなぎ心をつなぐそのお菓子と共に、皆さんが笑顔になり楽しい時間を過ごされ、いい思い出の一助になれば幸いです。
これからも皆さんの笑顔と共に。
会社概要
- 創業
- 昭和8年
- 法人化
- 昭和54年1月
- 資本金
- 5,000万円
- 役員
-
- 取締役会長 齊藤 俊明
- 代表取締役 齊藤 俊満
- 常務取締役 武田 信治
- 取締役 平野 亨
- 取締役 小松 博樹
- 取締役 金野 崇
- 取締役 武田 勘治
- 監査役 新沼 湧一
- 営業品目
- 和菓子・洋菓子の製造販売
- 代表菓子
- 「かもめの玉子」「光の朝」
グループ会社
- 創業
- 平成5年11月
- 資本金
- 2,000万円
- 役員
-
- 取締役会長 齊藤 俊明
- 代表取締役 齊藤 俊満
- 取締役 武田 勘治
- 取締役営業部長 川島 大輔
- 監査役 齊藤 和子
- 営業品目
- 「かもめの玉子」の販売
受賞
- 昭和40年
- 金賞受賞
第16回全国菓子大博覧会 - 昭和49年
- 銀賞受賞
第4回岩手産業まつり観光みやげ食品コンクール - 昭和52年
- 岩手県観光連盟より観光みやげ食品として推奨される
- 昭和52年
- 大臣賞受賞
第19回全国菓子大博覧会 - 昭和59年
- 名誉無鑑査賞
第20回全国菓子大博覧会 - 平成2年
- 金メダル受賞
第29回モンドセレクション(ブリュッセル) - 平成3年
- 金メダル受賞
第30回モンドセレクション(バルセロナ) - 平成4年
- 3年連続金メダル受賞
第31回モンドセレクション(アムステルダム)
国際栄誉賞受賞 - 平成6年
- 名誉総裁賞受賞
第22回全国菓子大博覧会

モンドセレクション
本部をEC組織委員会に置くヨーロッパで最高の権威を持つ、国際食品コンクールで、別名「世界食品オリンピック」と呼ばれており、1961年ベルギーを皮切りに欧州各国が持ちまわりで開催しています。
沿革
- 昭和8年
- 11月、齊藤政治、キヌエ餅屋の屋号で大福もち・ゆべしを製造販売。
- 昭和12年
- 赤沢(現中央通)から台町(現在地)へ移転。戦中までさいとうもずやで親しまれ繁盛するも経済食料統制で閉店・休業。今でも年輩者は、さいとうもずやで通っている。
- 昭和23年
- キヌエばあさんより食べ物商売はどんな時代でも安定している。商売は信用が大切…との教えを受け齊藤俊雄によって再開される。廊下改造による一坪の工場を作る。従業員4人。大船渡、細浦、赤崎町内で大福、がんずきの卸販売をする。
- 昭和25年
- 店舗を開設する。
- 昭和26年
- 一坪の工場を増築。鴎の玉子、パンの製造に着手。従業員11人。
- 昭和27年~28年
- 大船渡市制記念行事の便乗宣伝で市内に知られる。鴎の玉子、沖のかもめ、五葉松、うにの子同時販売。従業員12人。
- 昭和35年
- チリ地震津波襲来、破滅的打撃を受ける。
- 昭和37年
- 岩床鴎の玉子の卸を開始。
- 昭和39年
- 鴎の玉子にホワイトチョコレートを使用する。
- 昭和43年
- 地の森店開設、地の森工場開設。鴎の玉子の焼成機設置(毎分40個)。
- 昭和44年
- 陸前高田市へ販売拡大。
- 昭和45年
- 川島包装機導入。
- 昭和46年
- チョコレート掛け機を齊藤俊雄が考案し、生産性向上。気仙沼市へ販路拡大。
- 昭和48年
- 本店工場開設。鴎の玉子の箱を新デザインに変える。
- 昭和51年
- 本店工場増築。釜石市に販路拡大。
- 昭和53年
- 宮古市に販路拡大。
- 昭和54年
- 大船渡玉川温泉株式会社の社名を株式会社さいとうに変更。さいとう製菓法人化。温泉旅館業を廃業。冷凍設備設置。マイヤ本店にテナント出店。
- 昭和55年
- 地の森店閉鎖。一関、花巻、水沢、北上各市に販路拡大。鴎の玉子のパッケージデザイン変更。
- 昭和56年
- 鴎の玉子専門工場として中井工場開設。生産能力日産4万個となる。
- 昭和58年
- 本社社屋(本店併設)新築。仙台、石巻市に販路拡大。
- 昭和59年
- 中井工場へ8坪の冷凍庫増設。石巻、松島方面の販売倍増。
8月の増産に併せ本店工場に鴎の玉子ライン設置。株式会社さいとうの社名をさいとう製菓株式会社に変更。 - 平成元年
- 大通り店閉鎖。マイヤ高田店にテナント出店。
- 平成3年
- 仙台営業所を仙台市若林区に移転。盛岡市稲荷町に盛岡営業所を開設。新中井工場完成、建坪約800坪。ミニ鴎の玉子焼成機導入。日産8万 個。本店リニューアルオープン。
- 平成5年
- シーサイドタウンマストにテナント出店「大槌店」開設。
販売会社「株式会社鴎の玉子」設立 - 平成7年
- 鴎の玉子考案者齊藤俊雄死去(享年83歳)。(株)鴎の玉子直営店「盛岡フェザン店」開店。
- 平成8年
- 滝沢村大釜に(株)鴎の玉子盛岡営業所移転新築落成。
- 平成9年
- 仙台市宮城野区扇町に仙台営業所を新築移転。
- 平成10年
- フードマックス気仙沼店テナント入店「四季彩の森」開設。ジャスコ気仙沼店テナント入店。さいとう製菓(株)本社社屋増築、配送センター併設。
- 平成11年
- 銘菓「鴎の玉子」を「かもめの玉子」に改称。
- 平成12年
- (株)鴎の玉子各営業所を支店に昇格。(株)鴎の玉子東京支店開設。本店を「総本店」に改称。北上市に北上本店を新築開設。リアスコーストリプル店にテナント入店「高田店」開設。
- 平成13年
- 店舗及びテナントを三陸菓匠「さいとう」に改称。取締役齊藤ミヤコ死去(享年84歳)。三陸菓匠さいとう七郷の風土菓発表
- 平成15年
- 中井工場新工場増設。日産30万個。盛岡市に盛岡国分通り店開設。
研修室「七郷ホール」新築落成。
かもめの玉子商標登録第4656076号 - 平成16年
- 第1回かもめの玉子工場まつり開催(入場者数1,500人)。以降、毎年開催。
- 平成17年
- 洋菓子ブランドを「ル・ポミエ」に。 盛岡フェザンに洋菓子店(ル・ポミエ)オープン。
- 平成18年
- さくら野百貨店(北上店)にテナント入店。
- 平成19年
- 銘菓「黄金かもめの玉子」モンドセレクション最高金賞を受賞
- 平成21年
- かもめの玉子、紅白かもめの玉子でISO22000を取得。
- 平成22年
- さいとう製菓株式会社、株式会社鴎の玉子の株を統合。さいとう製菓株式会社を親会社とした。
- 平成23年
- 3月11日の東日本大震災により、本社、和菓子工場、沿岸5店舗(本店、マイヤ店、大槌店、高田店、気仙沼店)が流失。また多くの取引先も被災した。震災後、約1か月でかもめの玉子の製造を再開。その後マイヤインター店を皮切りに、被災した店舗を全て、年末までに再開し、新たに釜石サンパルク店を開店した。12月には中井工場に隣接して、和菓子工場を再建した。この間多くのお客様から励ましを頂き、勇気づけられました。
- 平成24年
- 齊藤俊明社長が毎日経済人賞特別賞を受賞。かもめの玉子の包装、パッケージデザインを刷新。北上店でパン工房COCOAを開始。
- 平成25年
- 本社登記を現住所に移転。盛岡市に盛岡本町通店オープン。
- 平成26年
- 釜石サンパルク店をイオン釜石内に移転(釜石店として出店)。
- 平成29年
- 3月、盛岡駅ビルフェザンリニューアルオープン。
4月、アバッセ高田店にテナント入店。
6月、第三工場開設。
11月、総本店(かもめテラス)オープン。